金融危機の時代にはペイオフ限度額を超えて預金することに怯える人もいた

預金

日本における金融危機

バブル崩壊以降、日本では大きく分けて2度の金融危機がありました。

1990年代の金融危機

1990年代半ばまでは旧大蔵省による一行たりとも潰さないという「護送船団方式」で守られていた時代。
しかし状況は一変。
住専やそこに多額の資金を突っ込んでいた農林系の経営不安が高まった後、信用組合や抵当証券会社などが破綻しはじめ、1997年には三洋証券・北海道拓殖銀行・山一証券が相次いで破綻。

その後も3行あった長期信用銀行のうち、日本長期信用銀行(長銀)・日本債券信用銀行(日債銀)が相次いで破綻。
大手銀行として数えられていた信託銀行などにも信用不安が広まりました。

但し、アジア危機やロシア危機・LTCMショックなどが発生する中、大手銀行でも貸し渋り・貸し剥がしが横行して金融システム不安が高まったことから、公的資金という名の税金の資本注入が実施され、何とか金融システムの崩壊は免れました。

アメリカでIT革命ともてはやされたITバブルが発生したことも、一息つく要因となりました。

2000年代の金融危機

しかし、金融機関の経営状況がジリ貧の下、ITバブルが崩壊しエンロンの不正会計問題が表面化。
911事件からイラク戦争に向かう中で、金融機関は生き残りをかけて大合併時代に突入します。
三井住友銀行やみずほFGが誕生しました。

しかし、小泉内閣の下で金融再生プログラム(竹中プラン)が作成・実行されると、不良債権処理を断行する過程で自己資本不足が懸念され大手銀行の株価が急落。
みずほの株価が一時60円割れという信じられない水準まで売られたこともありました。

その後、竹中プランの下で不良債権処理を断行すると共に、大和銀行(りそな)に税金が投入されて一時国有化されたことをきっかけに金融システム不安は収束。
米国の住宅バブル経済の恩恵もあり、国内金融機関の収益性は急速に回復しました。

その後発生したサブプライムショックやリーマンショックでは、農中が多額の損失を計上。
しかし、証券化商品の世界にあまり深入りしていなかった幸運もあり、三菱UFJがモルガンスタンレーに、三井住友がゴールドマンに、みずほがメリルリンチ(現BOA)に出資するなど、逆に資金の出し手となりました。

預金が一部毀損するペイオフ

預金保険機構

日本には預金保険機構があります。
預金受け入れ金融機関(銀行・信金・信組)が預金量と預金の種類により決められた預金保険料を負担することで、いざ破綻した際は決められた元本とその利息が保護されます(ペイオフ)。
2001年以降、保護される元本は1,000万円です。

尤も、金融システム不安の高まりを受け1996年にペイオフが一旦凍結され、預金は全額保護されていました。
それが2002年にペイオフ凍結解除、即ち1,000万円を超える元本やその利息は保護されなくなったのです(厳密には決済性預金を除く)。
そのため、富裕層を中心に預入先を分散する動きがみられました。

当時の職場の上司も右往左往

ペイオフ凍結解除が行われた2002年当時、私にはペイオフを心配するほどお金はありませんでした。
そのため、個人では何らペイオフ凍結解除対策を行いませんでした。

しかし、上司たちは違いました。
結構持っている人も多く、特に独身の上司たちは相当な金額を持っていたはずです。
仕事柄ペイオフなどお金のことには詳しいので、余計に過度な対策を取ります。

多くの人がやっていたのがやはり預金先の分散です。
コンプライアンスの関係上で個別株などには投資できず、当時は世界的に金融市場が不安定だったこともあり多くを預金として保有していたようで、いくつもの先に分散して預入していたみたい。
中には、大手行だけでは足りずに地銀などにも手を広げて…

金融機関の先行きが心配

それからしたら、現在は金融システム不安が高まっている状況ではありませんが、マイナス金利政策下で銀行の収益環境が急速に悪化しています。
今後再びペイオフを強く意識しなければならない時代がやってくるかもしれません。
以前のように不良債権が経営を圧迫するのではなく、本業である預貸スプレッドの縮小が経営を圧迫する時代です。

当時のように預金保険の上限を強く意識し、預入先の過度な分散まで行わなくてはならない環境にならないことを願っています。

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